Avatar 「倉園佳三」の記事

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】防御を手放して自分が傷つかないことを知る

Avatar
著者:倉園佳三

これまで、どうすれば、攻撃を伴わない「真のコミュニケーション」が実現するかについて見てきました。その具体的な方法をひと言でまとめるなら、
「想像をやめ、準備を手放し、信頼をベースに凝視、傾聴しながら閃きを言葉に変えて投げ返す!」
ということになります。
もし誰かと会話するあいだこの姿勢を保つことができたとしたら、あなたから先に攻撃を繰り出すことはなくなるはずです。
でも残念ながら、相手はそうとは限りません。もし会話の途中で相手が激怒したり、攻撃モードで挑んできたりしたら、どう対処すればいいのでしょうか。
想像するだけで、「やはり人と関わることはできるだけ避けておきたい」というこの連載が始まったばかりの地点まで戻ってしまいそうな気がします。
でも安心してください。実はコミュニケーションにおける攻撃という概念もおおいなるイリュージョンのひとつに過ぎません。なぜならば、私たちは言葉によって傷つくことはないからです。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】信頼を礎に準備なしで会話するトレーニング

Avatar
著者:倉園佳三

前話までで、攻撃を伴わない「真のコミュニケーション」の基本の型は完了しています。すでに見てきた5つのステップをまとめると次のようになります。
① 私たちには76億分の1の違いと個性があることを受け入れておく。
② 本当は相手について何も知らないという事実を認める。
③ 相手の言動の裏にある意図や思惑を勝手に想像しない。
④ 受け身の姿勢で、相手の言動をひたすら凝視、傾聴する。
⑤ 現実の相手から、自分の発するべき言葉を教えてもらう。
おそらく、これまでのコミュニケーションとはまったく異なる作法であるはずです。
とくに、③の「意図や思惑を想像しない」から④の「凝視、傾聴」を経て、⑤の「現実の相手から教えてもらう」までを実践するためには、大きな発想の転換と慣れが必要です。
そこで今話は、この部分でつまずかないためのヒントと、一連の流れを習慣化するためのトレーニング方法について書いてみようと思います。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】想像や予想を手放して相手を凝視、傾聴する

Avatar
著者:倉園佳三

前話では、私たちを攻撃へと駆り立てる要因が、相手の行った現実の言動ではなく、それを受けて頭の中で創り出す負のイリュージョンにあるという事実を見てきました。
ここから、真のコミュニケーションを実現させるための、次のような行動指針が見えてきます。
・「本当は相手について何も知らない」という事実を認める。
・ 相手の言動の裏にある意図や思惑を勝手に想像しない。
最大の課題は、この「頭では理解できたこと」をどのように実践するかにあります。
「想像をしないと言うのは簡単だけど、本当にそんなことができるのか?」
「相手について何も知らず、心も読まないとしたら、何を拠り所に話せばいいのか?」
今週は、これらの疑問をまとめて解いていくことにしましょう。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】本当は相手について何も知らないと認める

Avatar
著者:倉園佳三

前話では、営業部長、企画部長、開発部長の三部長と、口、胃、足の三部位のやり取りを比較しながら、「淀みないコミュニケーション」とは何かについて見てきました。
もし私たちが、三部位のように血管や神経でつながっていたら、どれだけ主義主張が異なっていたとしても、最後には「利害が一致する状態」を創ることができます。
そして、「淀みないコミュニケーション」を実現するためのファーストステップは、
「私たちはそれぞれ、76億分の1の違いと個性をもっているから素晴らしい!」
という事実を受け入れることでした。
今週も引き続き、次のステップへと歩を進めることにしましょう。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】76億分の1の違いと個性を受け入れる

Avatar
著者:倉園佳三

第1話と第2話で「攻撃」と「コミュニケーション」の違いを見てきました。
身体という単位で孤立している私たちは、互いを攻撃し合うことで、分離の度合いをますます深めていきます。これが、「なるべくなら他の人との関わりを最小限にしたい」「ひとつになるなんて絶対にゴメンだ!」と考えたくなる理由です。
その同じ切り離された身体を、互いの考えや気持ちを伝えるために使う行為がコミュニケーションです。これによって自分と他の人のあいだに「つながり」が生まれ、とくに意図せずとも「ひとつ」の状態に導かれていきます。
ただ、私たちは最初から相手を攻撃したいと望んでいるわけではありません。多くの場合、相手を理解したい、自分をわかってほしいと思いながら穏やかに会話を始めます。
にも関わらず、なぜか双方の心には苛立ちが生まれ、気がつけば「コミュニケーションのフリをした攻撃」の応酬に終始してしまうのです。
ではどうすれば、分離を生まない真のコミュニケーションが実現できるのでしょうか。今話からはその答えを探る旅を始めようと思います。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】「ひとつ意識」と真のコミュニケーション

Avatar
著者:倉園佳三

前話では、「ひとつになる」という言葉に抱いてしまう嫌悪感をヒントに、なぜ私たちは、他の人との関わりを最小限にしたいと思ってしまうのかを考察しました。
その原因は、誰もが過去に幾度となく受けてきた、
「コミュニケーションのフリをした攻撃」
です。
では、攻撃ではない真のコミュニケーションとはいったいどのようなものなのでしょうか。これが今週のテーマです。

グッドバイブスなコミュニケーション

【グッドバイブスなコミュニケーション】攻撃とコミュニケーションの違いを見分ける方法

Avatar
著者:倉園佳三

昨年の2月に刊行した拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』や、同名の日刊ブログで紹介してきたグッドバイブスの発想を応用して、私たちのコミュニケーションをもっとしあわせなものに変えられないかと考えました。
具体的には、
・人と話すときにどうしても緊張してしまう。
・管理職になったばかりで、部下との対話がうまくいかない。
・結婚相手が恐くて、家で落ち着けない。
・他の人からの指摘を、必要以上に深刻に受け止めてしまう。
・職場ではヘッドフォンが手放せず、殻に閉じこもりがち。
・プレゼンや営業など、多数の人を相手にうまく話せない。
といった悩みを抱える人が、誰からも分離せずにいられるためのメソッドを書いてみようと思うのです。

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】多くのことを達成する人生がしあわせなのか? 死ぬことは怖くないのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:最後の質問になるので、最終らしく「死」をテーマにさせてください。
「二度とないこの人生」
と言ったりするように、せっかく「人間としてこの世に生まれてきた」のだから、死ぬ前に
・ より多くのことを知り
・ より多くの経験をし
・ 一秒たりとも無駄にせず
・ 充実した人生を謳歌したい
という、きわめて個人主義的な願望が、やはり現代人には一般的だろうと思います。
これはもちろん、「死」によって終わるまでの「帯状の時間帯」を、いかに豪華絢爛に彩るかという、グッドバイブス的には受け入れられない価値観だろうと思いますが、倉園さんはこの誘惑に抗いがたいと思ってしまうこと、もうないですか?
そして最後にお尋ねします。
徹底的に嫌っていた人もいなくなり、高所恐怖症すら克服されてしまった倉園さんは、
死ぬことも、もう怖くなくなりましたか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】グッドバイブスの取り組みに失敗したときはどうする?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:自分が「意味づけ」をしていることもわかっている。目の前の相手が理不尽な攻撃をしているのも、何らかの「恐れや不安」がそうさせているのだともわかっている。
しかし相手の「恐れや不安」の原因を探り、その不安を取り除くべく努めても、どうしてもそれがうまくいかず、結局あまりいい感じになれないまま相手と別れ、その後ずっと「相手のせいで怖い体験をさせられ通しだった」という妄想から抜けられない。
そういうことが、ときどき起こります。
もちろん、
・いまその相手が目の前に現れた理由を考えてみる。
・ゲームだと思う。
といったアドバイスも総動員しています。それでも体の傷なのか「心の傷」なのかわからないけどモヤモヤした気持ちが抜けてくれない。
この連載も最終盤になって、まるで最初に戻ってしまったような質問ではありますが、あらためて「初歩の初歩」まで戻ってしまったようなとき、何よりも心がけることはなんでしょうか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】私たちは弱い存在か? それともけっして傷つかない存在か?

Avatar
著者:倉園佳三

倉園さんはしばしば「心は傷つかない」という表現をされています。
肉体と違って、形のない心というものが、言葉の厳密な意味で「傷つくことなどあり得ない」というのは理屈としてはよくわかります。
他方、「脳」というものが傷つくことは、あります。これは肉体の一種であり、写真にも写るものだからです。
あくまでもひとつの考え方ではありますが「心脳一元論」といって、「心=脳」とみなす人々もいます。科学者の間でもこの意見に否定的な人はもちろんいますが。
メンタルの不調とか、心が傷ついて回復しないとか、精神的ストレスのせいで働けない、という表現は、いまとなっては一般的です。これらの表現をとるとき、人は「心の傷」というものを現実のものとみなしているでしょう(そのとき、脳も傷ついているとは必ずしも言えません)。
非常にデリケートな問題で、科学的なコンセンサスも不十分だという前提ではありますが、そのことを踏まえて質問します。
「心が傷つく」というのは「意味づけ」でしょうか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】理想とどうつき合えば挫折せずにすむのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:私たちの「夢」とまでは言えなくても、ある種の理想的なあり方として、
「思いどおりの理想の企画を実現したい!」
という願望が根強くある気がします。
理想的なメンバーで、思いどおりの素晴らしい企画を実現し、大いに世のニーズに応え、会社にも社会にも貢献したい。
悪い発想ではないと思うし、自分、周囲、組織、社会に「便益」や「利益」をもたらすという意味で、それほどグッドバイブスに反するとも思えません。
しかし現実に、これはなかなかうまくいかないと訴える人がとても多くいるのです。

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】なぜ、自分ひとりでは「平安な心」を得られないのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:倉園さんは、
「グッドバイブスのメソッドを自分のために使って、ひとりだけで平常心を保とうとしても、本当の意味での平安な心は得られない」
とよく言われます。
その理由として
「なぜならば、相手の怒りは解消されないまま放置されているから」
ということが挙げられているのですが、だからこそ、「怒る相手とは可能な限り関わらず、家庭なども持たず、経済的には自立して一人で生きていく」という戦略がでてきているのではないでしょうか。
そして現代のような、生活の至る所にITの網が張り巡らされ、買い物も、コミュニケーションも、取りたいとき、取りたい人とだけ関わることができるように環境が施されつつある時代であれば、「怒る相手は避ける」ことも可能になったのではと思います。

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】分離である離婚や退職は絶対にしないほうがいいのか?

Avatar
著者:倉園佳三

会社や家庭で何か「理不尽な扱い」を受けているように感じたとしても、「グッドバイブス」の考え方によれば、ひとまずその「理不尽な扱い」というのは、相手の行為に何かしら「意味づけ」をしているからではないかと、考えてみる必要があるでしょう。
こうなってくると、私たちは職場を変える、つまり転職をしたり、家庭をリセットする、つまり離婚する必要というのは、一切なくなってしまうようにも思えます。
実際そうである方が幸せだから、転職や離婚というものはそもそも不要と見たほうがいいかもしれません。
しかし、それでもどうしてもというケースもある気もします。
倉園さんのお考えからして、離婚や転職などというのは、一切しないようがいいのでしょうか。それとも、そのような手段になお、訴えたほうがいいケースというのもあるのでしょうか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】自分の個性から生じる不都合なことにどう対処すればいい?

Avatar
著者:倉園佳三

倉園さんはよく、74億の人間の中で「余計な人」など一人もいないということは、74億の個性が必要だと考えざるを得ない、とおっしゃいます。
ただ、一見短所に見えることには、やはり倉園さんのよく指摘される「意味づけをやりがち」ということが多いと思われます。
たとえば電車の中で他人のちょっとした粗雑な言動などについ見とがめてしまって心がかき乱されるという人があったとします。
言ってみれば「少し神経質」というようなことでしょうか。この「神経質」というのは「細かいことにまで気がつく」という長所の裏側とみたらいいのか、あるいは電車の中で「粗雑な言動をする好ましくない人」という「意味づけ」を手放すべきなのか、どちらなのでしょう?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】「いっさいの計画を手放すやり方」で締切は守れるのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:倉園さんは「フォースを使え いっさいの計画を手放すやり方 Ver.2.0(実践編 その2)」の中で次のように述べられています。
あえてチェックリストのような書き方をしてみましたが、「いっさいの計画を手放すやり方」には、未着手のアクションはいっさいありません。あらかじめ複数のアクションを想起しないわけですから、当然といえば当然のことです。
この身軽さを一度でも味わったら、もうあの未着手だらけの、悪夢のようなアクション分解の世界には戻れません(笑)。
たしかにこのやり方なら「今やっていることに全身全霊を込められる」という意味ですごいと思います。しかし同時にこのやり方は
「締め切りを守れない」
という「不安」がつきまといます。

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】「自分=肉体ではない」なら身体のケアもしないほうがいいのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:倉園さんは以前から「自分=肉体ではない」という趣旨のお話をされていて、その線から「失ったり傷ついたりすることを恐れる必要はない」と強調されています。
たしかに私たちの「本質」がたとえば失われたり損なわれたりすることのないものであるなら、もちろん失うことや傷つくことを恐れなくていいわけですが、肉体は間違いなく「傷がつく」し、歯なんかも失われると元通りには戻りません。
特別なこれといった病気ではなくても、たとえば一定の年齢から上になると、膝だの腰だの肩だのが「慢性的に痛む」というようなこともあります。
予防や身体のケアというのは一般に、こうした「痛み」が「もっとひどくなることを恐れて」やることだと思うのですが、倉園さんのお考えではそういうことも「しないほうがいい」ものでしょうか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】「老後に2,000万円の貯蓄が必須」をグッドバイブスで解決できるのか?

Avatar
著者:倉園佳三

最近、老後の年金の問題がちょっとした騒動になっています。
倉園さんのお考えであれば、そもそも「老後」という先の見通しから不安になるということ自体があるべき姿と逆ですし、2,000万円を貯蓄することによって不安を解消しようという考え方にも無理がいっぱいでしょう。
ただ現実問題として、先の蓄えがあればあるほど、病気になったり、体が動かなくなったりしても安心だという心理はふつうですし、来月どうなるかもわからないという状態で、目の前の仕事に集中できるかどうかも疑問です。
長く生きれば生きるほど先行きが不安だという感覚そのものが、決してしあわせとは思えません。「グッドバイブス」は今のような時代の「老後の不安」という問題に対しても、有効でしょうか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】「好きなことを仕事にする」と「他の人の求めに応じる」は矛盾しないのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:第1回の倉園さんのお話で「自分よりもはるかに自分を知る周囲の人々に、自分が何者であるかを教えてもらう」ことの重要性をすごく意識するようになりました。
するとどうしても気になってくるのが「大好きなことを仕事にする」こととの整合性です。
倉園さんは、私の理解しているかぎりでは「好きなことを仕事にする」のをよしとされていたと思います。
しかし、自分よりも周囲の人のほうが「自分というもの」を理解してくれていて、しかも他人からの求めに応じた人生を送るべきであるなら、「自分としてはこれが好きで、これをやりたい」という態度を貫くのは難しくなりませんか?

倉園佳三 × 佐々木正悟 対談連載「フォースを実践する!」

【倉園 × 佐々木 フォースを実践する!】能動的につかみ取るのか? 受け身的に導かれるのか?

Avatar
著者:倉園佳三

佐々木:今回から、CHANGES執筆者である私・佐々木正悟が質問者として、同じく執筆者である倉園佳三さんにインタビューするという形式の連載をスタートさせたいと思います。倉園さんのお話にはかなりひんぱんに「自分の役割に導かれていく」という言葉が登場します。
就職活動、転職活動と職を求める切実な活動が様々ある中、そんな「偶然を受け身的に待つ」ような戦略をとることは、心もとない。もっといえば恐ろしいことではないでしょうか?

最強の自分に出会う「フォースを使え!」

【フォースを使え!】なぜ私たちは最適な場所へと導かれるのか?

Avatar
著者:倉園佳三

このブログでも、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』でも、私はよく「導かれる」という言葉を使います。「計画を手放しても、最適なゴールに導かれる」「自分の個性に紐付いたしあわせな役割に導かれる」おそらく、このような文言を読んだあなたの中には「導かれるって、いったい何に?」という大きな疑問が浮かんでいたことでしょう。そこで今話は、おそらくこの連載で最大の謎のひとつである「導かれるとは何か?」について書いてみようと思います。