第30話 『ヒトラーのはじめたゲーム』

佐々木 正悟

著者:佐々木 正悟

アンドレア・ウォーレン著『ヒトラーのはじめたゲーム

本書は「子ども向けのノンフィクション」といった趣の書籍です。書籍ではありますが、ドキュメンタリーの台本のようにも読めます。

著者のアンドレアが「ジャック」の「強制収容所体験」をインタビューしながら、話を進めていく体裁になっているのです。

内容は想像できるとおり、悲惨なエピソードにあふれています。

しかし、証言があることからもわかるとおり、過酷な現実を生き延びたからこそ、存在している本です。

インタビューされているジャックはポーランド出身のユダヤ人。第1章のエピソードは1939年に始まります。歴史にくわしい人ならよく知っているとおり、この国のこの年は不吉な印象をもたらします。第二次世界大戦は1939年に、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで、始まりました。

この年からジャックを含む、ポーランドのユダヤ人を取り巻く状況は急速に悪化していきます。しかし決定的になるのは1941年以降、つまりナチスドイツがソ連に侵攻したのちに起きるのです。

わたしたちは、監視兵に追い立てられるようにして、よろよろと進みました。広場に着くと、どなられながら五列にならびました。わたしたちが頭を垂れて黙って立っていると、将校が、「おまえたちはいまヒトラーの親衛隊(SS)の囚人になったのだ」と言いました。そこはドイツのブレヒハマー強制収容所だということでした。もはや、わたしたちにはなんの権利もありませんでした。唯一残された権利、それは死ぬ権利でした。

数々の冒険ドラマや戦争映画の中で、主人公やその仲間たちの多くが、一度は「絶体絶命の大ピンチ」に陥る。そういったものと比較することじたいがはばかられるものの、本書のタイトルは『ヒトラーのはじめたゲーム』です。

ジャックはこんな収容所に収容された時点で、絶体絶命の大ピンチです。しかし「ゲーム」において「勝利者」となったからこそ、ナチスドイツとヒトラーが絶命したずっとあとまでジャックは生き残ることができたわけです。

なぜそんなことができたのか? 主人公自身がそのことを後になって不思議に思うのです。

最近のことですが、ある冬の朝、分厚いコートを着て、帽子をかぶり、手袋をし、ブーツをはいて、新聞をとりに外へ出ました。そのとき、思ったのです。わたしは収容所でのあの寒い冬を、いったいどうやって生きのびることができたのだろうか、と。着ていたものといえば、薄っぺらな囚人服だけ。それで、一日じゅう外できつい労働をさせられていたのです。

もちろん運も味方してくれたはずです。基本的には収容者を殺害することが目的とされた収容所の中で、それなりの期間、生き残るための「正しい戦略」などといったものはあり得ないでしょう。

それでもジャックには2つの重要な基本戦略があり、これが彼の生存に有利に働いたことはたしかなのです。

その1つが、「できるだけ一生懸命働く」ことでした。

一見したところ、まったく賢明な考え方とは思えません。強制収容所で一生懸命働いて、どうなるのでしょうか。相手はブラック企業の幹部よりもずっと悪く、労働者から搾取どころか、搾取したうえでいたぶって、最後は殺害すること以外、ほとんどなにも考えていないのです。

だからもちろん収容所には、2つの考え方があったのです。

ジャックは囚人たちの中にいて、二つの相反する生きる知恵をみてとっていた。ある囚人たちは、エネルギーを浪費しないために、できるだけ手を抜いて働こうとした別の囚人たちは、監視兵から暴行を受けないために、できるだけ一生懸命働こうとした
後者の方がかしこいやり方だ。ジャックはそう考えて、この収容所でも、おじの村にいたときと同じようにやっていこうと思った。不平は言わず、礼儀正しくふるまうこと。人に好かれるように、協調性を持ち、できるかぎり一生懸命働くこと。そして、監視している者たちから一目置かれるようにするのだ。

本当にこの考えがはたして「かしこい」ものだったかどうかまでは、わからないことです。なにしろ場所が場所だけに、一生懸命働いても、当然のように殺されてしまった人が少なくなかったに違いありません。

それでも生き残ったジャックがこの方針を貫いたということは、事実です。記録によれば、強制収容所におけるジャックの労働価値は、他の囚人の二倍にも上ったというのです。

そして二つ目の戦略とは、「憎しみを持たないこと」です。
ありきたりに聞こえるかもしれません。しかしところはナチスの強制収容所です。

こういったドキュメンタリーにはよく「カポ」という言葉が出てきます。本書にも出てきます。本書では「カポ」とは、「戦争前に殺人や窃盗などの罪でドイツの刑務所に入れられていた服役囚」と書かれています。

その服役囚に、強制収容所の「囚人」を管理する役割をナチスは与えたのです。

カポの中には、とても正気とは思えない者や、サディスティックな性質の者もいたが、それほどひどい悪人ではない者もいた。カポを軽蔑することはたやすい。彼らは余分の食べ物を食べ、特権を持ち、囚人たちに対して横暴にふるまう。だが、ジャックにはわかっていた。彼らも、上からの命令に従うかぎりにおいてのみ、生きることを許されているのだ。
ジャックはカポや監視兵を憎まないことにした。憎しみは、なにも生み出さず、なんの役にも立たない。自分の中のエネルギーを消耗させるだけなのだ。

偶然の働き以外では、私にはこれが、ジャックを生きのびさせた最大の要因という気がしてなりません。

憎まないこと。

カポや監視兵が「囚人」たちに憎まれるのは、当然といえば当然であって、避けようがないことです。カポが戦後、撲殺されたり、惨殺された事例はいくらもあるのです。

言うまでもなく、強制収容所の中にあって、監視兵もカポも、「囚人」に恨まれ、憎まれていることは感じ取っていたはずです。

ある種の条件においては、「憎まないこと」が最高の贈り物になるということを、ジャックの体験が示しているのではないかと、私は思うのです。自分たちを、可能なら殺してやりたいと憎む人ばかりの集団の中にいれば、自分を憎まない人間がきわめて特別な存在に見えてくるのは、不思議ではありません。

  • 一生懸命働くこと
  • 憎しみを持たないこと

これがジャックの、「強制収容所を生きのびる戦略」だったのです。

ジャックが結果として生き残ることができたのは、決して必然だとまではいえないでしょう。
しかし、全くの偶然ではなかったと思うのです。

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ABOUTこの記事の著者

佐々木 正悟

心理学ジャーナリスト。「ハック」ブームの仕掛け人の一人。 1973年北海道旭川市生まれ。97年獨協大学卒業後、ドコモサービスで働く。2001年アヴィラ大学心理学科に留学。2005年に帰国。 帰国後は「効率化」と「心理学」を掛け合わせた「ライフハック心理学」を探求。執筆や講演を行う。 著書に、ベストセラーとなったハックシリーズ『スピードハックス』『チームハックス』(日本実業出版社)のほかに『先送りせずにすぐやる人に変わる方法』(中経出版)『一瞬で「やる気」がでる脳のつくり方』(ソーテック)など。