第17話 【フォースを使え!】総集編① ナチュラル・ボーン・クリエイター

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著者:倉園佳三

おかげさまで、このブログも17話を迎えました。いつもご愛読ありがとうございます!

実は私、17という数字が大好きです。誕生日が17日というのもおおいに関係ありますが、やはり、ラッキーセブンとエースの組み合わせには他の数字にはない特別な何かを感じてしまいます。

一般的には5や10の倍数がひとつの区切りとされますが、私にとってのスペシャルナンバーはやはり17回です!

さらに、10月6日には「CHANGES」初のリアルイベントが開催され、6人の著者がひとりずつ登壇するという楽しみな企画も決まりました。個人的には、時間が許せばこのブログに関する質問をできるだけ多く受けたいと考えています。

そんなタイミングということもあって、記念すべき今話と次話を、過去16作の内容をまとめた総集編のような趣で書いてみようと思います。

ただし、総集編といってもこの連載が終わるわけではありません。あくまで「中締め」のような感じで読んでください(笑)。

◎ 私たちすべてに宿る「創造のエネルギー」

前話で、この宇宙を生み出した存在であると同時に、この宇宙そのものである「創造のエネルギー」について書きました。

最大のポイントは、「創造のエネルギー」がどのようにして私たちも含むこの世界を創ったかの「創り方」にあります。前話ではそれを、

「広がる創造」

と呼ぶことにしました。

私たちがふだん行っている物作りは「広がる創造」ではなく「分離する創造」です。料理や工作、絵画、彫刻、執筆など、私たちが創るあらゆるものは「創り手」である私たちとは別の存在になります。

「創り手」と「できあがったもの」が分離しているという意味で、前話ではこの「創り方」を、

「分離する創造」

と名づけました。

視点を変えて表現するならば「分離する創造」とは、

「創り手が、自分の創ったものを俯瞰で眺めることができるタイプの創造」

ということになります。

これに対して「創造のエネルギー」の行う「広がる創造」は、

「創り手が自らを拡張しながら、自分自身をさまざまなものに変えていくタイプの創造」

を指します。

言葉だけではイメージしにくいかもしれません。なぜならば、私たちが暮らすこの世界では、なかなか「広がる創造」を実感できる例が見つけられないからです。

けれども、前話で書いたように、たとえば一粒の種が植物に成長していく課程を「種が自らを拡張しながら、根や茎や葉や花に姿を変えていった」と捉えてみると、この自然界にも「広がる創造」に似た創造があるように思えます。

あるいは、コンピュータグラフィックスの技術「モーフィング」を用いて、ひとつの小さな点が宇宙全体にゆっくりと変わっていく映像を制作すれば、「創造のエネルギー」がこの宇宙を創る課程、すなわち「広がる創造」の様子がイメージできるかもしれません。

ビッグバンと呼ばれる爆発が最初のきっかけだとして、そこから空間が生まれ、星々が生まれ、その上に私たちが生まれます。そのすべてが、創り手である「創造のエネルギー」の拡張、あるいは変形だったとします。

このような世界では、創り手とできあがったものとの関係は、「創り手が、自分の創ったものを俯瞰で眺められる」ようにはなっていません。

なぜならば、「創り手」と「創られたもの」は同一の存在であり、見方を変えるならば、

「創られたすべての中に創り手がいる」

という関係になるからです。

そして、私たち自身もこの宇宙と同じく「創造のエネルギー」によって創られた「創造のエネルギー」の作品です。

であるならば、

「私たちすべての中に、私たちを創り出した“創造のエネルギー”が宿っている」

ことになります。と同時に、

「私たちもまた、私たちを創り出した“創造のエネルギー”そのものである」

と見ることもできるのです。

◎ 「フォースな自分」と「創造のエネルギー」

これまでこのブログでは、「フォースな自分」をミラーボールにたとえ、無数にある鏡面のひとつがどのように見えるかだけを書いてきました。まさに、プロローグで宣言したボトムアップ式です。

けれども、「創造のエネルギー」とその作品である私たちとの不思議な関係について触れたいま、ようやく「フォースな自分」の全体像に迫ることができます。

「フォースな自分」とは何か? その答えは次のようになります。

「フォースな自分とは、自分が“創造のエネルギー”から生まれ、自分自身が“創造のエネルギー”そのものであることを完全に思い出した状態」

おそらくこの文言を読んだだけで、「なるほど! そうか!」と心から腑に落ちることはないと思います。それよりも、何かぼんやりとして雲をつかむような話に聞こえるのではないでしょうか。

私がこれまでボトムアップ式で「フォースな自分」についての話を書いてきたのも、読者のみなさんにこの漠然としたつかみ所のない感じを抱かせないようにしたいとの思いからでした。

そこは十分に自覚した上で、わかるようでわからない「創造のエネルギー」の話が、どのように最強かつ最速の「フォースな自分」につながって行くかをたどってみることにします。

◎ 私たちはけっして「ちっぽけな存在」ではない

まずは「本来の自分」、すなわち「そもそも私とはどんな存在なのか?」についての認識を大きく改めるところから始めようと思います。

家庭環境やその後の社会との関わり方によって個人差はあると思いますが、おおよそ私たちが自分に対して抱いているイメージは、

「何もできないちっぽけな存在としてこの世に誕生した」

ではないでしょうか。

そして、「何もできないちっぽけな存在であるからこそ、自分の価値はその後の努力によって高めていかなくてはならない」というのが一般的な考え方です。そこで、私たちは生まれて間もなく学校に行ったり、さまざまな習い事をしたりして、自分を「価値ある存在」に変えようとするわけです。

たしかに一理あるような気もします。また「自分を高めていく」という発想には何か夢があってわるくない感じもします。

けれども、もしこれが真理だとしたら、私の中には次のような疑問が残り続けます。

「ちっぽけな自分というあまり質のよくない素材が、どれだけ努力したところでたいしたものにはならないんじゃないか?」

なんというか、水揚げをして何日もたった鮮度の低い魚を、どうにかして美味しい料理に変えられないかと四苦八苦しているような、なんとも言えない虚しさを感じずにはおれないのです。

もちろん、中にはそのような厳しい状況でも、見事に難題をクリアしてしまう超人もいるでしょう。けれども、その途中で挫折して、「私なんて、何もできないダメな人間ですから」と、半ばあきらめ気味に人生を捉えるようになる人が少なくないのも事実です。

私も経験がありますが、「もしかしたら、オレには何の価値もないのかもしれない」と思ってしまうときの自分は、やはり「水揚げをして何日もたった鮮度の低い魚」のように見えるものです。

その一方で、「フォースな自分」には、このような絶望的な人生観を一変させるパワーがあります。

少なくとも、こちらのスタート地点は「何もできないちっぽけな存在」などではありません。それどころか、

「この宇宙を創り出した“創造のエネルギー”と同質の能力、同じ価値をもった存在」

として人生を始められるということです。

たとえるならそれは、漁船に上がったばかりの活きのいい魚を、その場でさばいて最高のひと皿に仕上げるようなものです。しかも、少しばかり調理のやり方を間違ったとしても、素材としての自分の価値が損なわれることは絶対にないという保証付きです。

◎ 私たちが動けばかならず何かが創られる

「なるほど、自分はちっぽけではなくて、なにやらすごい存在なんだな」

ぼんやりとでもいいので、なんとなくそう思えたら次に進みましょう。

さて、この自分という「すごい存在」の、何がそんなにすごいのかを明らかにするためには、「創造のエネルギー」から受け継いだ、

「私たちがもつ創造力の本質」

を解き明かす必要があります。

「創造」と聞くと、なんとなくアーティストやパフォーマー、エンジニア、職人など、なんらかの物作りに携わっている人だけに関係する事柄のように思えます。反対に、営業職や総務系など、制作とは趣の異なる仕事をしている人は、「創造なんて自分とは無縁」と感じているかもしれません。

けれども、本来、私たちの「創造」は、そういった才能をもつ一握りの人だけが行うような特別なものではありません。

そもそも、私たちが受け継いでいるのは単なる「何かを作る能力」ではなく、この世界の森羅万象を生み出した「創造のエネルギー」の「創造力」です。

それはすなわち、

「意図せずとも、私たちが動けば、自然とそこに何かが創られてしまう」

という、「ナチュラル・ボーン・クリエイター」(生まれながらの創造者)としての能力なのです。

つまり、私たちが行う「創造」とは、

「私たちの言動によって生じるすべての結果」

だということです。

けっして難解なことを伝えているわけではありません。ぜひ、ここで立ち止まって熟考することなしに、そのまま読み続けてください(笑)。

ただ、あなたが今日一日のあいだに行ったことを振り返ってみるだけで、「意図せずとも、私たちが動けば、自然とそこに何かが創られてしまう」という紛れもない事実が簡単に浮かび上がってきます。

たとえば、朝起きて部屋を掃除したとします。あなたが掃除をする前は、この世界に「汚れたあなたの部屋」しかありませんでした。けれども、数分をかけて掃除をしたあとには「キレイになったあなたの部屋」が創造されます。

家を出て電車に乗って職場にたどり着いたら、それまでなかった「あなたがいる職場」という空間が創造されます。さらに、あなたの次に職場にやってきた同僚に「おはよう!」と挨拶し、あまり意味のない世間話をするだけで、今度は「会話」が創造されます。

自分のデスクに向かって仕事が始まれば、あえて挙げていくまでもなく、そこからは創造の連続です。「新しいメッセージ」「新しい書類」「新しい約束」「新しい計画」「新しい製品の一部」「新しい販売戦略」「新しいウェブサイトの記事」「新しい問題」……。

すべて、あなたが何かの言動を起こす以前にはこの世に存在しなかったものだと思いますが、いかがでしょう?

「意図せずとも、私たちが動けば、自然とそこに何かが創られてしまう」

これこそが、「創造のエネルギー」から受け継いだ「私たちの創造力」の本質なのです。

◎ 無意識の創造を意識的に行う

とても残念なことに、ふだんの私たちはこの素晴らしい能力について、まったくと言っていいほど意識していません。

その理由もやはり、先に書いた「何もできないちっぽけな存在であるからこそ、自分の価値はその後の努力によって高めていかなくてはならない」という考え方にあると私は予想します。

努力して達成したものこそ価値があるのであって、「動けば自然に創られる」といった類いの誰にでもできるような能力はまるで評価に値しない。そんな価値観によって、いつしか私たちは、本来、もっとも大切にしなければならない「創造力」から、あえて目を背ける習慣をつけてしまったのかもしれません。

先に挙げた例を見てもわかるとおり、私たちが動けばそこに何かが創造されることは否定しようのない事実です。もちろん、「それはわかるが、そんなものはすごい能力として認めない!」との立場をとることも自由です。

けれども、「フォースな自分」を発動させるためには、

日々、無意識に行っている私たちの創造を、意識して行う状態に変える

ことが必須だと私は考えます。

プロローグでも書きましたが、私たちの多くは、自分の行動を理想のものに変えたいと思うとき、自分の外に「自然とそうなるシステム」を作ろうとします。その前提には、

「ほうっておいたらさぼってしまう自分、期限を定めないと着手すらしない自分、だれも見ていなければ手を抜く自分がいるという性悪説」

があるように思います。

なぜ自分自身に対してそのような性悪説的な見方をしてしまうのか。その理由は、多かれ少なかれ、

「これからやろうとしていることがかならず自分に苦しみをもたらすだろう。しかも、自分がそれを成し遂げるのは困難に違いない」

と考えているからだと私は予想します。

子供のころ私は重度の注射恐怖症でした(笑)。なぜかはわかりませんが、注射をされるたびに気絶してしまうほど怖かったのです。風邪でもひこうものならもう不幸のどん底のような気分です。親に連れられて病院に向かう足取りの重いこと、おもいこと。

おそらく、それとあまり変わらない気分で目の前の「やろうとしていること」に向き合っているのではないでしょうか。

もし、その「やろうとしていること」のすべてが、「自分にとっての創造である」と捉えることができたらどうでしょう。もちろん、あなたには「創造のエネルギー」と同質の「創造する能力」が宿っているという前提です。

「ナチュラル・ボーン・クリエイター」(生まれながらの創造者)であるあなたが、生まれながらに手にした創造力を発揮して行うことで苦しむはずはありません。途中で何かの障害に出くわしたとしても、それを突破するための創造力もあなたはすでに手にしています。

もし、不幸にも「それを成し遂げられなかった」という結果が出たとしても、そのほとんどはあなたが勝手に決めた「時間の制限」によるものだと私は予想します。

「1時間で片付ける」と決めたものが終わらなければ、2時間かけて終わらせればいいだけです。あるいは、1か月でやろうとしてダメだったとしても、1年でも2年でも完成するまで創造を続ければ、いつかかならずそれは成し遂げられます。

ぜひ、あなたの中にあなた自身をも生み出した「創造のエネルギー」が宿っていることを確信して、その価値をしっかりと自覚しながら、

「私が行うすべては創造である!」

と宣言してみてください。

そして、そこから行うすべてのこと、すべての発言に対して、「これは自然になされていく何気ない言動ではない。これはすべて私の創造である」と強く意識するようにします。

これだけで、目の前がこれまでよりも明るくなったような、おぼろげかもしれませんが「フォースな自分」に出会えたような、少し新鮮な感覚を得られるはずです。

◎ 創造できる時間は「いまここ」しかない

過去16話でひんぱんに登場したキーワードのひとつに、

「いまここ」

があります。

これも頭では理解できても、いまひとつ実感するのが難しい概念だと思います。けれども、「私たちが行うすべては創造である」と捉えることができれば、すべてが秋晴れの空のようにクリアになってきます。

すでに書いたように、私たちは「創造のエネルギー」から生まれ、その創造力を宿した「創造するための存在」です。けれども、そのことを自覚できていないことによって、

「私たちの創造がいつ行われるか?」

も忘れてしまっているのです。

私たちの日常における創造は驚くほど無意識です。無意識に顔を洗い、無意識に掃除をし、無意識に場所を移動し、無意識に他人と会話し、無意識に仕事をこなし、無意識に食事を摂って、無意識にお酒を飲み、無意識に恋をして無意識に寝る。

それでも、私たちが生まれながらにもつ「創造力」によって、無意識ながらもあらゆる言動の結果は、私たちの創造物としてこの世に出現し続けます。

では、それらすべての創造物はいったい、いつこの世に生み出されたのでしょうか?

どれだけ熟考しよとも、答えはひとつしかありません。過去でも未来でもなく、私たちが行動した瞬間、すなわち、

「現在」

です。

もし、このブログを読みながら、先の宣言「私が行うすべては創造である!」を実際に行ったとしたら、あなたが無意識に行っていたすべてのことは「創造」に変わっているはずです。

次に行うべきは、その「創造を行う時間」を強く意識することです。

先に「これからやろうとしていること」を苦しいと予想したり、失敗すると懸念するがゆえに、性悪説に基づいて自分を管理せざるを得なくなると書きました。これも実は、「創造を行う時間」の捉え方に錯乱が生じている状態にほかなりません。

おもしろいことに、私たちの素晴らしい創造力は「これからやろうとしていること」について考えているあいだも止まることはありません。一見、近未来のことについてなにかを予想しているようでいて、実際にやっていることはそれとはまったく別のことです。

「いま」考えている私たちは、

「これからやろうとしていること」についての悩みを創造している

のです。

この場合、自分の中から悩みを取り除くもっとも簡単な方法は、まず悩みを創造するのをやめること、すなわち、

「これからやろうとしていること」について「いま」考えるのをやめること

です。

次に、悩みを創り出す代わりに、自分が本当に創造したいと思っていることを「いま」行えばいいのです。つまり、

その「やろうとしている」ことを、「いまやること」に変える

だけです。

私は56年生きてきて、「何かをやる前にやる気が起こることはめったにない」という結論にいたりました(笑)。その理由はとてもシンプルです。「これからやろうとしていること」について考えることで、自分の頭の中に創造される「やろうとしていること」の印象は、十中八九マイナスの色を帯びるからです。

そこで私は、「これからやろうとしていること」にそのようなネガティブなイメージをもった瞬間に、自分に対して、

「やる気はそれを始めるまで出てくることはない」

と言い聞かせ、「いまここ」を本当にやりたいことの創造に使うように自分を修正しています。

「私たちは過去や未来で何かを創造することはできない。だから、過去や未来について考えることで悩みを創造する代わりに、いまここで本来の創造力を発揮する」

これが「フォースな自分」を発動させる「いまここ」の本質です。

◎ 自分や他人を不幸にする創造とは?

さて、「フォースを使え!」総集編の前編はここまでにしておきましょう。

「創造のエネルギー」と「フォースな自分」の関係が明らかになってきたところで、来週までの課題として、まず次の問いについて考えてみてください。

「創造力を宿した私たち自身を振り返ってみたとき、自分や他人をしあわせにするものだけを創ってきたと言えるか?」

おそらく、多くの人の答えが「NO」ではないかと思います。

すでに書いたように、私たちは日々、自分の頭の中に「悩み」を創り出しています。この事実だけとってみても、けっして「自分や他人をしあわせにするものだけを創ってきた」と断言できないことは明らかです。

あえて個別の事例は挙げませんが、もっとマクロな視点で世界を見渡しても、私たちは長い歴史の中で、どれだけひいき目に見てもしあわせをもたらすとは言えないものを創造してきたように思います。

もしかしたら、このあたりにも、本来は素晴らしい能力であるはずの私たちの創造力に、なぜかあまり大きな価値をもたせたくないと思ってしまう要因があるのかもしれません。

そこで、先の設問に続けて、

「なぜ、私たちは自ら自分を不幸にする何かを創造してしまうことがあるのか?」

について考えてみてください。加えて、

「どうすれば、私たちは自分や他人をしあわせにするものだけを創造することができるか?」

の問いに、あなたなりの回答を出してみてください。

詳しくは総集編の後編で書きますが、この答えが「フォースな自分」を完成させる重要なピースとなります。

今週も長文にお付き合いいただき、ありがとうございます! 来週も乞うご期待!

Photo by Satoshi Otsuka.

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執筆家、音楽家、グッドバイブス・エバンジェリスト 大学中退後、1994年まで音楽家として活動。95年、インプレス刊のIT雑誌『インターネットマガジン』編集部に参加。99年に編集長に就任。2002年に同社を退社。IT系コンサルタント、執筆家として独立すると同時に音楽活動を再開。2010年にクラウドやガジェットの活用をテーマにしたブログ『ZONOSTYLE』を主宰。2015年からは「しあわせに働く」をテーマに、ブログ『ジョン・レノンのイマジンみたいに働く』を公開。2016年に結成したブルーアイドソウル系バンド「蒼いライオン」でボーカル、ギター、作曲を担当。2019年に『グッドバイブス ご機嫌な仕事』(インプレス)を刊行後、グッドバイブス・エバンジェリストとして「完全無欠のしあわせな仕事」を伝導中。 著書に『すごいやり方』(扶桑社)、『iPhone×iPad クリエイティブ仕事術』『グッドバイブス ご機嫌な仕事 』(インプレス)などがある。